二人の知り合いからレスポンスあり。
一人は、自分が古都「京都」がなぜ好きかという
ところからの「やすらぎ」の考察。
もう一人からのには、「建築という恒常的仕掛けで
人を集められるのか?」という疑問あり。
大歓迎!これこそほんまにうれしいことです。
それぞれの方に返信させていただきます。
ありがとうございます。両Y様。
ところで、
自分が「風景の一部になってるな」と察すると、
人は自分を演じ始めますね。誰かの視線が自分に
向いていることを感知したときも。
そのナルシス的(いかにも人間的)要素も、
多分に「その場にいること」の心地よさに
つながる気がします。