2013年03月19日

日本の民家1955年

展を見てきた。写真家二川幸夫氏の。
(会期中にお亡りになりました。
ご冥福をお祈りします。)

もうほとんど残ってない60年近く前の
いろんな地域の民家の姿。

あれ?

わいが生まれるほんの10年まえ?かあ。

確かにこんまいころじいちゃんばあちゃんく
いったら、自分達が街で住んでる「いえ」と
ちがったな。周辺ももちろん。

外と中、キレイときたない、食べられるもの
食べられないもの、匂い、煙、衛生観念、
便所風呂、いろんなものの境界と判断基準と、
なんというか。家の中も外で。あんまり境界
なくて、障子やし。夜は雨戸。

こんまいとき相生にいくたびにわし、

「ばあちゃんのおうち黒ね、てるちゃんの
おうち白よ」て、いよったらしい(笑

何回も聞いたなばあちゃんからこの話。

あるとき、囲炉裏でいぶされた「黒い」部屋が
突然プリント合板で覆われてしまって、「白く」
なってて、ほら、うれしいような、でも、白の
ほうがいいと責めてたつもりじゃなくて・・・

「いやそこまでせんでも」とかこどもながらに
動揺した覚えがあるなあ。つまり黒でよかった。

そこでかくしてしまった「黒い」家は、棲家。

雨から生活を守り、炊事は土間で、水ははるか
むこうの谷からひぱってきてて、ろ過する甕から
でてくるもので。井戸も現役だったけど。

風呂や便所は外で、家の周りは木々がいっぱい
実のなる木、花が咲く木、大きな木、草花。

石垣下りたらあぜ道でどこまでもいけて。

沢に降りる道も水の道でもあってすべらんように
丸い石慎重にわたっておりて。

そこに住むために必要ないえが、周辺でとれる
ものをつかってできたもの。雨や雪や風や暑さ
寒さに対応して、近隣との住まい方やなりわい
との関係も含め、何百年もかけて進化して、ついに
姿がそろってきていた集落。

生きるための家。

わいやがいま建築しているのは、電気や水道や
あらゆる機器、建材があるのが前提やな。住宅。
自然のなかに住まわせてもらうために人はこんな
に頑張ってつくった。のが民家かな。

強烈な必然で細胞から出来ていると言うか。

えらそうにせずに、「伏せている」というか。
軒が連なっていても、ばらばらであっても、
「伏せている」感じが。

淘汰されたということではないように思うな。
自然にいまの街並みにかわったんではないよな。

民家に胸が潤って、なんというかあの風景が
外力ナシで自然進化してたら?とか考えながら
街を歩いて、どの建築ならそこにあっていい。
これはあかんだろ、みたいに評価して歩く(笑

二月に聞いてはっとした「方言の建築」
今回の「民家」

ええかんじやな。これからなにするのか。
もちろん建築するんやけど、これはしたら
あかんだろ、みたいなことが見えてきたら
うれしいな。

長っ!(笑








posted by uch at 00:00| Comment(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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