「全国まちづくり委員長会議」に出席。
初日は「災害における建築士の役割」で
事例報告させていただきました。
徳島木造建築研究会の活動内容を説明する中で
先行高地移転プロジェクト「こうのすまい」と
「簡易耐震化工法開発」(いわゆる建具耐震)。
パネルディスカッションでもご質問いただいて、
結構反響ありました。聞かれて答えるうちに
わかった課題など。
その@
公的資金のない中でどのように「このすまい」を
展開するか。やはりWG開始当初から話に出ていた
「こうのすまい読本」が要りますね。手法の
追求を実際の現場と平行してやらないと次に続いて
いかない。
そのA
なにごとも人と人のつながり。海部観光の仮設
住宅試行が「フクシマトクシマの会」を通じて
エスキスが繰り返されて現実のものになっていった
こと。その現場の過程で美波町とのつながりが生れ
今に至っていること。
そのB
研究過程で、徳島大学の地質の専門家のレクチャー
を受け、現場では土木地質コンサルタントの協力
をうけて、いわばプロの連携が問題をクリアして
いく原動力になっていること。
三井所会長の災害復興ミニレクチャーでは
山から建築に至るリンクの主要なメンバーに、
「金融」「保険」「行政書士」という項目が
入っています。
二重ローン、生活費の確保。
どのようにして地域工務店の仕事につなげるか、
地域の再編にはどんな専門化が必要か。
翌日のワークショップ、おもしろかったなあ。
早稲田大学の佐藤先生とその研究室メンバーが
ファシリテーターとなっての演習ですいわば。
東京の実際の街並みのモデルを前にして。
こげた木材がつんであるのは壊滅した家屋。
発災後、復興準備期にはまず、どんなメンバーが
ひつようか、どこが拠点か、なにをするか・・・
仮設復興期には?
本格復興期には?
本格復興期には?
各フェーズで考えられることをあげて、そこの住民
になってシミュレーションする。
ほんの二時間の超ダイジェスト。はじめは、
どの程度こわれてるの?とか、宮城ではそんなことは
なかったとか、阪神のときはね、とか、なかなか
議論に入っていけなかったけどそのうちにモデル
から町の様子を思い浮かべることができはじめて
熱気を帯びていきました。
しかし、
こうなって(ブルーが復興建築)
こうなる?(ビルが建つ!!)
という仮の復興モデル変遷を見せられて、
みんなで「ぞーっ」としたなあ。
町が書き換えられた。
以前の記憶が途絶えた。
どのように復興していくのか、どのように
考えるのか、というところから住民が参加しないと
とんでもないことになる。ということが全員で
共有できた。
「神社はないの?この地域に」
「ビルの隅っこに小さな鳥居があったりするじゃん」
てことで、まずは神社探しからはじめないとね。
という一つの結論にみんなこころ温まったな。
机上のシミュレーションなのに、心のよりどころを
求めるんよな。ものすごい興味深い話の展開でした。
われわれA班の発表。
すごいーなんてうまいんでしょう要約つかんで
話にするのが。佐賀の、元JIA九州支部長
清水さん。
そうそう建築士会連合会の全国会議に出たのは
これが初めて。
JIAだと支部代表で、徳島から来てます四国支部
です。他の三県をも代表できているかどうかは・・
となるけど、47都道府県をそれぞれ背負った会議
はやはり熱の帯び方が少し違うな。