普通に生活できる地域から
居住困難地域を通って
帰還困難地域へ。
JIA東北支部大会初日、先にエクスカーション。
「福島の現在」の一部に足を踏み入れて、実際に見て
町の方の話を聞いて、意見交換もしてから二日目の
シンポジウムへという、これはすばらしい構成。
倒壊した家もいくつかあるものの、外見上は特に
問題なさそうな街並みに、人気(ひとけ)がない。
全ての機能はとまったまま。
「避難と言っても、3,4日で帰れるだろうと
甘く見てました」と、町の方もおっしゃる。
それっきり3年8か月、許可を得ないと帰れない。
原子力による明るい未来、的なスローガンが町の
そこここに。放射能事故の際の避難所もある。
汚染物質の中間貯蔵施設になるかもしれない
場所にも行ってみる。
ススキとセイタカアワダチソウのせめぎあい。
(同行した内藤廣さんの言葉)
塩害で立ち枯れした松林。
荒野(と見える)に打ち上げられたままの
漁船の群れ。
「津波被害は外科的処方で対処できる」
「放射能被害は内臓疾患」(同)
外から見ただけではどこが悪いのかわからない。
果てしないやるせなさが襲ってきたなあ。
翌8日のシンポジウムと合わせてまとめよう。