2014年11月09日

七日は

福島駅から飯館村を通って双葉町へ。
普通に生活できる地域から
居住困難地域を通って
帰還困難地域へ。

JIA東北支部大会初日、先にエクスカーション。
「福島の現在」の一部に足を踏み入れて、実際に見て
町の方の話を聞いて、意見交換もしてから二日目の
シンポジウムへという、これはすばらしい構成。

倒壊した家もいくつかあるものの、外見上は特に
問題なさそうな街並みに、人気(ひとけ)がない。

全ての機能はとまったまま。

「避難と言っても、3,4日で帰れるだろうと
甘く見てました」と、町の方もおっしゃる。

それっきり3年8か月、許可を得ないと帰れない。

原子力による明るい未来、的なスローガンが町の
そこここに。放射能事故の際の避難所もある。

汚染物質の中間貯蔵施設になるかもしれない
場所にも行ってみる。

ススキとセイタカアワダチソウのせめぎあい。
(同行した内藤廣さんの言葉)

塩害で立ち枯れした松林。

荒野(と見える)に打ち上げられたままの
漁船の群れ。

「津波被害は外科的処方で対処できる」
「放射能被害は内臓疾患」(同)

外から見ただけではどこが悪いのかわからない。

果てしないやるせなさが襲ってきたなあ。
翌8日のシンポジウムと合わせてまとめよう。







posted by uch at 00:00| Comment(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする