2014年11月25日

福島でのシンポジウムメモ

JIA東北支部大会シンポジウム
11月8日@福島県教育会館

内藤廣さんの基調講演は、会場の話から始まった。

一緒のバスで会場につくなり、
「え?ここなの?大高さんでしょ?」
「時間作ってこれをに行きたいなあと思ってたの。」

これでいいんだよね、こういう風に作れなくなって
きてるんだよね、と、しみじみ話される。


(以後、誰の話ということなく、出た話です)


「人として生きる」ことと、
「建築家として生きる」ことが、ずれてないか?

これは視察中にも講演でも内藤さんが話されたこと。
いつも考えていたいテーマやなあ。

防潮堤は、土の上の構築物。下層の土が流れ出たら
簡単に流される。メンテできてない堤は張子の虎。

シミュレーションはシミュレーション。同じ津波は来ない。
一次波、二次波は読めても、干渉波は読めない。

バイオ危険物に対して、災害時の取り扱いが定められて
いない・・・。

津波に備えて8mの盛土の上に集落をつくる???
が、その協議の場に建築家は呼ばれていない。

業を超えて、地域や文化とともに、真摯に建築やまちを
考えるのが建築家。業者と呼ぶな。

我々の先輩方は、大空襲の焼野原から建築を考えた。

首長のカラーで、進捗スピード、内容の濃さが。
行政がイニシアチブをとる地域も。

建築家は国土交通六法を勉強しましょう。
建築基準法、都市計画関係、河川、道路・・・

先人を含めての復興
居住困難地域でも、年間14回は訪れることができる。
その都度家にも帰る。そういう各家庭の線状の動きが
そのルート周辺を息づかせて、街が蘇っていかないか。

報道によると帰還希望は一割?その信憑性もあるが
気持ちはかわるもの。かわっていい。希望を持つこと。

復興住宅、なぜここに?実際ここに住めるのか?
できたらずっと住みたい。次の人生を。
暖かいところに?どこに住むのか・・・

心の深いところを設計する
今いない人のための設計をする

二地域居住
1:9? 4:6?比率はそれぞれで
住民票を移さなくても住めるとか

選択肢を増やしておく選べるようにする

居住できない双葉町では固定資産税を徴取できない
→国から年間60億円交付

ふるさとへの手がかりがなくなると、夢が残る
親しい友人が亡くなると、イメージが残る

親しい人が残したモノは、とっておきたい
いつか解体を待つだけの我が家なら、積極的に解体
して部分を残して次の家に移すなど

双葉町では、町民全員にタブレットを配布する
つながりを

汚染物質中間貯蔵施設の上に祈念公園を建てる
など、ばかげたようなアイデアでも、言ってみること

それが、直接当事者ではない我々の責任ではないか
議論をしてみてはどうか

入っていけないなら入っていけるような仕組みを作る

被災した建物や遺構。壊す?残したい・・・
言葉や石碑ではなく、そのものを残すべきだろう

壊さざるを得ない?
文化として未来へ伝えるには?やはり議論が必要

種をまくこと

産業へつなげて、あらたなプライドを

外の人が言うべきでない、被災者側から出ないと

人と人とのつながりが断絶されている

悔しい

戦うぞ

勝てなくても、負けない

相手は?みつからない

そろそろ汗をかきたい

そろそろつくりたいよね

廃炉先進地へ

核ゼロの未来へ

あらたな日常へ

事故はまた起きる

その時のための記録を

「30年」の、体内時計を持とう

プロセスを、ずっと、もっておける、JIAに!

賢い行政はちゃんと見て見ぬふりをしてくれる

グレーソーンをいかしてよりよく



まとめるといろいろなことが抜け落ちるので
自分のメモからつらつら順番に書いた。

メモして、後日改めて書き写してみると、メモ落ちの
内容をなんとか連想、想像して、自分が何かを考えた
経緯を再現してみようとするな。

自分のためだけの作業やけど、二度おいしい。



posted by uch at 00:00| Comment(2) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする