というんを(要約しすぎやけど)
平田オリザさんの講演録の中で
知って、今考えよる事と重ねて
「すごいタイミングやなあ」と
いろいろさらに考える。
建築が建築としてなりたつこと
はそれだけでなりたつんでなし
にそこにいる人の思いや過ごす
時間があって初めて成り立つ
んやなと。
ものばっかり見よったらあかん
なあ。ものばっかり考えても、
なんもその次が思い浮かばんな。
その建築が好きになるとかその
場所に思いが芽生えるというのは
自分を含めたそのときの気分が
やはり心地よいからで、それを
設計するとなると、面のデザイン
やちょっとしたもののカタチとか
じゃなくて、もっと大きいところ
でそこのためのことを考えな
あかんのやな。
師匠ア正治がよく言っていた
「至芸化された動き」を思い
だしながら、建築じゃなくて場所
とそこにいる人の振る舞いやな、
と、えらいまた高尚なこと考えて
とりあえず外に出よやと思って
朝のコーヒーを万代中央埠頭で
つながっとるかなこれ(笑