2015年11月11日

宮沢賢治の

われわれはみんな芸術家である。
というんを(要約しすぎやけど)
平田オリザさんの講演録の中で
知って、今考えよる事と重ねて
「すごいタイミングやなあ」と
いろいろさらに考える。

建築が建築としてなりたつこと
はそれだけでなりたつんでなし
にそこにいる人の思いや過ごす
時間があって初めて成り立つ
んやなと。

ものばっかり見よったらあかん
なあ。ものばっかり考えても、
なんもその次が思い浮かばんな。

その建築が好きになるとかその
場所に思いが芽生えるというのは
自分を含めたそのときの気分が
やはり心地よいからで、それを
設計するとなると、面のデザイン
やちょっとしたもののカタチとか
じゃなくて、もっと大きいところ
でそこのためのことを考えな
あかんのやな。

師匠ア正治がよく言っていた
「至芸化された動き」を思い
だしながら、建築じゃなくて場所
とそこにいる人の振る舞いやな、
と、えらいまた高尚なこと考えて

とりあえず外に出よやと思って





DSCF9404.jpg
朝のコーヒーを万代中央埠頭で

つながっとるかなこれ(笑


posted by uch at 07:44| Comment(4) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
その人の住処に対する思いを建築家の方がじっくり聞いてくれて尚且つ、芸の極致を見せてもらったら、居心地のいい住まい+αその建築に見合った人間になっていこうという気分にもなっていく、、のかな。
計算されたようなええ景色の中での朝の一杯、これまた至福ですね。
Posted by 三島佳織 at 2015年11月11日 12:45
そうきっちり言われるとプレッシャーが(笑
ちょっと外に出ると気持ちいい、のは確か。
Posted by uch at 2015年11月11日 13:46
直球でしたか(笑)。でも、ウッチーの作品はそういう気分にさせる建築です。素人が言うのも何ですが。

海や川など、自然が近くにあると考え事をするのにいいね。
Posted by 三島佳織 at 2015年11月11日 16:37
そうなんよな。
やってみなわからんな。
Posted by uch at 2015年11月11日 18:18
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