2007年11月07日

すべては

刻々と移り変わってゆくわけで、
くりかえしのおきまりの快感味わっている暇は無いな。

繰り返しが心地よいと感じたら危ないな。

なんか最近、「諦観」と「まだまだ!観」と交互に来るな。

「諦観感」感じるのは年のせいやけど、そらー感じるよなとも思う。
せなあかんこといっぱいあるし、「これはもうよし」もないと
肝心のこっちの方でけんよなという諦観。か?

じゃないかこれは「まだまだ!観」か。

言い訳じゃないことを信じつつ。

「不惑」ってこういう風に考えた末になんかいっぱしな
結論出すことをいうんかな?

いや、惑い続けるんやなきっとずっと一生。

「惑わず」、じゃなくて、「惑わんとどうすんねん」やな。
posted by uch at 00:28| ☔| Comment(5) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「四十にして惑わず」とは、「君子」が達する境地だそうです。
君子でない私としては、これからも惑いながらやっていこうと思います。
Posted by センターおやじ at 2007年11月07日 22:57
妹画伯の惑いっぷりに、
つい
「ええやん、それで。」と
いうてしまいます。
ええもんに、したいから、惑ってるわけで
時間という、枠に囚われてる、わたしは
不枠の人になりたいです。
Posted by メグ at 2007年11月08日 08:47
そうそう惑いながら件の「おでん」いこう。
光洋。来週かな。
Posted by uch at 2007年11月08日 19:10
メグさんのコメントが何故か反映されてなかった模様。

妹大画伯様の天井、あれ、もう年末!!
そろそろ取り掛からねば・・・

惑いながら。
Posted by uch at 2007年11月08日 19:12
「光洋」ですね。来週楽しみにしています。
Posted by センターおやじ at 2007年11月08日 23:19
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